院長あいさつ
「患者さんに負担の少ない治療」を提供したい

当院の治療方針をひとことで表現するなら、次のようになるでしょう。
「患者さんに負担の少ない治療」を提供したい。
では、患者さんにとっての負担とは、何でしょうか。それは
「身体への負担」
「時間的な負担」
「経済的な負担」
この3つを指すと思っています。
この「負担の少ない治療」を実践してきて20年以上になります。20年前にはこうした発想はありませんでした。当時の歯科治療は(今でも…かな)アメリカ式に人工的に、或いは機械的に徹底的に手を加える治療が主流でした。
確かに削ってしまえば、抜いてしまえば痛みはなくなるでしょう。しかしその分、歯の寿命は短くなってしまいます。
とってもがっかりすることがありました

当院の患者さんが、途中で他院に行かれることがあります。そしてまた、当院に戻って通われるようになる。そんなケースがあるんです。久しぶりに、その患者さんのお口の中を見せていただくわけですが、そのときにとてもがっかりすることがあります。
私は、丁寧になるべく歯を削らない治療をしていたつもりだったのに、歯が大きく削られていたり、歯を抜かれていることがあるからです。それも何本も!(勿論、その後の症状の急な変化などもあったのでしょうが…)
これは歯科治療に対する姿勢の違い、治療方針の違いと言ってよいでしょう。そんな経験を何度かするうちに「負担の少ない治療」をハッキリ意識するようになりました。
歯科医師だって「負担の少ない治療」をして欲しいのです
先日、大学で臨床に携わっている先生からこんな話をお聞きしました。
その先生は非常に有名な先生で、他の歯科医師の方もご自身の治療のために、その先生の元へ患者として来院されるそうなのです。先生は、歯科医師である患者に自分で治療計画を立てさせます。歯科医師の患者は教科書通りに「ここはこう削ってそこはこう被せて…」そこで先生は聞きました。
「あなた(歯科医師の患者)はそんな風に自分の歯を削りたいですか?自分の歯を被せたいですか?」。歯科医師の患者は答えます。「いいえ ここは小さく削って詰めるだけにしたいです」
いかがですか?先の歯科医師の「治療計画」は言わば公式的な建前の治療で、後の「小さく削って」はいわば本音の治療ということができるでしょう。そしてこの「本音の治療」こそが正に「M.I.(ミニマルインターベンション)」(できるだけ削らない、切らない歯科医療)そのものではないでしょうか?
そして私は「自分の歯ならこうして欲しい」と思う治療を「M.I.」の概念が2002年10月にウィーンでFDI声明として発表される以前から、自院の治療方針として実践してきました。そして、「M.I.」の治療方針こそが歯を守り、歯の寿命を延ばす原則だと信じています。
三国で歯科なら岡田歯科と言われる歯科医院でありたい

岡田歯科医院が、現在のピカソ三国ビルに移転をしたのが平成5年です。
元々は、妻の曽祖父が戦前から三国に開業をしたのが始まりですから、70年以上に渡って三国で歯科治療を行ってきたことになります。スタッフも地元出身者が多く、元患者というスタッフも多いです。
このように三国で最も古く歴史のある歯科医院ですが、それに甘んじることなくこれからも「三国で歯科なら岡田歯科医院」と言われる歯科医院であり続けたいと考えています。
院長ごあいさつ

改めまして、院長の岡田 正博です。
私が歯科医師になった理由
私が歯科医師になろうと思ったのが昭和48年頃です。当時、歯科診療を巡っていろいろとトラブルがマスコミを賑わせていました。そんなとき私なら少しはお手伝いができそうだと思いました。歯科医師という役割を通じて、なんとか社会貢献したいという気持ちからでした。
現在開業して20年が経ち、たくさん勉強をして、自分の想っていた診療が少しずつ実現していることに喜びを感じています。
最新の歯科医療を常にアップデートしていくつもりです
医療技術は、一度勉強したからといってそのまま2~3年も立ち止まっていたら、陳腐化してしまいます。どんどん技術も知識もアップデートしないといけない。だから、毎週のように何かしらの勉強会に行くことにしています。
歯科医院には学術研修会や研修教材の案内が山のようにきます。そうした案内を見るたびについ内容が気になり、勉強しておかないと損した気分になってついつい申し込んでしまいます。(全く業者の思うツボです)
ただし、最新・最先端の歯科治療が必ずしも(患者さんに)最適・最良な治療だとは限らないので、私なりに取捨選択して、患者さんと相談しながら安心・安全な治療に役立てたいと思っています。
院長プロフィール
岡田歯科医院 院長 岡田 正博(おかだ まさひろ)
<経歴>
- 昭和59年3月
- 北海道大学歯学部卒業
- 平成5年5月
- 岡田歯科医院(5代目)院長として現在のピカソ三国ビルで開業
日本歯科医師会会員
<所属学会・研究会>
- 日本歯科医学会
- 国際歯周内科学会
- 日本歯周病学会
- 日本口腔インプラント学会
- 日本化学療法学会
- 京都インプラント研究会
- 床矯正研究会
- JIP-IU IMPLANT FELLOW
- 日本糖尿病協会歯科医師登録医
- 北海道大学歯学部同窓会大阪府支部常務理事
岡田歯科医院の歴史

初代 岡田 勇三郎
明治に大阪市西区堀江通りにて岡田歯科醫院を開業

二代目 岡田 秀章
大阪歯科医学専門学校=現在の大阪歯科大学=の1期生として首席で卒業。その後、昭和24年4月大阪府歯科医師会長に当選・就任
岡田歯科医院を継ぐ
大正期に豊中市服部に移転
その後、大阪市淀川区西三国に移転開業

三代目 岡田 滋
大阪歯科医学専門学校・東京医科歯科大学医学部卒
昭和24年 岡田歯科医院を継ぐ
四代目 岡田 正博
北海道大学歯学部卒
平成5年 大阪市淀川区新高に移転開業